2014年11月30日日曜日

旅!松山までの道のり~番外編 なぜ、松山へ?のお話。①~

旅の最終目的地、愛媛県松山市。

私が、なぜ今回、ここに来たのか。

バイクのお話とはかけ離れますが、道に迷ったのも何かのご縁、みたいな気持ちで読んでいただけたら幸いです。

ここに住んでいる、私の友人は、東京都八丈島の出身で、通称JO(ジョー)、と呼ばれています。

その、JOがこっちに来て、もう10年経つらしいのですが、

私とJOは、ちょうど20年前に出会いました。

私は高校を卒業したて、彼女は2歳上の社会人。

東京オリンピックセンターという施設で、2泊3日の高校生向けのボランティア体験イベントがあり、そこに私が参加した時の事務局スタッフがJOでした。
ニコニコしていて、落ち着いてて、話すと面白くて、なんか同じくらいちっちゃい女性。

私だけでなく、みんながJOを好きでした。

翌年から、大学生として、今度はスタッフに回り、3年に渡り、彼女とはボランティア体験イベントを企画、運営してきました。

そのころ。JOの病気が進行を始めていました。

網膜色素変性症

彼女は、将来目が見えなくなる病気だったのです。

年々、戸惑いが見えるJO。ちょっと情緒不安定かな、と分かるときもありました。
そりゃそうです、本人はいよいよ、目が見えなくなっていくステップが始まっていたのですから。

彼女の場合、視力ではなく、視野が欠けていきます。狭まっていく、と言えばいいでしょうか。
最初は、階段の最後の一段を踏み外すようになったのだそうです。
そうなってきたら、都会の人混みは段々恐怖となります。

知り合いがいた、というきっかけで、彼女は愛媛県松山市に移住しました。

もう会うことがなくなっていた彼女とつながりが復活したのは、はい、悔しいけど、Facebookです。
そして2年前、「東京に共通の知り合いのフラメンコを見に来るがチケットが一枚余ってるからどうか」と、誘いをくれたのがきっかけで、私達は再会しました。

それだって、10年ぶりくらいに会ったのですが。

待ち合わせの場所に立っているJOは、今まで持っていなかった、『白杖』を持っていました。

『そうか、症状は進行してるよね』

改めて時の経過を感じ、すこし怖くなり、それでも笑顔のJOを見て、まだ見えてる、と安心しました。
確かに、気づけない景色もあるのですが、彼女は真ん中の視野は見えているのです。
(人によってはドーナツ型の視野の方もいるそうです)

いつか、JOの目に、私の顔が映らなくなる日が来るんだ。

改めて、そう実感しました。きっと彼女の友達はみんなそう思うときがあるんだけど。

そして、社交辞令ではなく、絶対に今のうちにJOのいる松山に行こう、と決心したのが、去年のことでした。


つづく。。。


見えるからこそ、食事もスムーズという、当たり前のことが大切になります。




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